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岡本太郎が好きで好きで、かれこれ10回は足運んでじゃないかな、青山にある記念館。晩年の約50年間、住居兼アトリエとして使われてたとこなんですけど、いまだ太郎氏のエネルギーがこびりついてるのか、ぽやーっと突っ立ってるだけで、やる気がムクムク湧いてきます。
今回は、特集記事としまして、岡本太郎記念館を彼の名言とともに巡ってみました。太郎氏の強く生きる言葉をたくさん添えたので、元気が欲しいときにお読みくださいませ。全体的に自己啓発系ブログみたいな仕上がりになってますが、たまにはこういうのもね。









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▲アトリエ。ここで名作の数々が生まれた。

もともとは岡本太郎氏の住居兼アトリエとして使われてた、2階建ての建物。徴兵から帰還し、1996年に没するまでの約50年をすごした場所を、いまは記念館として公開してるわけです。
はい、ではさっそく、徴兵のときのエピソードから生まれた、強く生きる言葉をご紹介しましょう。

【強く生きる言葉 その1】

また「伏せーっ」という号令。息もたえだえで地面に這いつくばったとき、ぼくは目の前に小さな花がゆれているのを見た。雑草のなかに、ほとんど隠れるようにして、ほんとうに小さい、地味な、赤っぽい花だった。
そいつと鼻をつきあわせて、ぼくは、いのちがしぼりあげられるような感動にふるえた。

(中略)

小さい、その全身を誇らかに、可憐に、なまめかしくひらいて、はてもなく青いこの空の下に咲いている。

(中略)

人間だから、花だから、と区別することはない。いのちの共感は一体だ。

きつい訓練のさいに、小さな、なんでもない花の美しさを発見した太郎氏。
誰に見つかることもなく、何に媚びるわけでもない。孤独だ。だが、それでも誇らかに咲く花は美しく、その美しさは人間にも共通することではないか、と問うてます。





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▲造形物で溢れかえってる庭

庭は、造形物で溢れかえっております。圧巻。この世じゃないみたい。太郎氏は絵画にこだわることなく、彫刻もやる、文章も書く、テレビにも出る、とにかくなんでもやった。
あるとき「あなたの本職はなんですか?」と尋ねられて、こう答えている。

【強く生きる言葉 その2】

本職?そんなのありませんよ。バカバカしい。
もしどうしても本職って言うんなら「人間」ですね。

職業にさえ縛られなかった、太郎氏。本職、人間かあ。




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▲1階リビングにあたる部分も、作品で埋め尽くされている。



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▲太郎氏のフィギュアも置かれてます。等身大なのかな。だとすれば、けっこう小柄。

1階リビングにあたる部屋も、作品で埋め尽くされています。等身大なのかな、太郎氏のフィギュアがおなじみの「なんだ、これは!」のポーズで立ってます。
1度は耳にしたことがある「なんだ、これは!」というフレーズ。これは、いったいどう解釈したら良いのでしょう。以下の言葉が、参考になりそうです。

【強く生きる言葉 その3】

こちらは自分の生きているアカシをつき出している。人間の、本当に燃えている生命が、物として、対象になって目の前にあらわれてくれば、それは決して単にほほ笑ましいものではない。心地よく、いい感じであるはずはない。

(中略)

芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則なんだ、と。

いやったらしく、ぐんと迫ってくるもの、おもわず「なんだ、これは!」と叫んでしまうもの、そういうものこそ、むしろ良いんだと言ってるわけです。たった1フレーズに、こんな強い意味がこめられていたんですねー。
「なんだ、これは!」の精神、なんだか珍スポットにも、通じるとこがあると思います。4つ星以上の珍スポットって、どれもこれも「なんだ、これは!」と圧倒されて、惹きこまれて、価値観ががたがた揺らぎますから。





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▲岡本太郎と岡本敏子のパネルが飾られてます。

太郎のパートナーで、実質上の妻である岡本敏子のパネルも飾られています。2人は、あえて結婚という形式をとらず、太郎氏の養女として迎えられている。
後年の太郎を支え続けた、敏子氏はこんなことを言ってます。

【強く生きる言葉 その4】

私はずっと傍にいたから、よく知っている。
岡本太郎はけっして特別な人間ではなかった。
優しくて、デリケートで、神経は鋭いし痛がりやの、ほんとうは弱虫といった方がいいタチの人だった。ただ、決意したのだ。その決意を貫いた。決して変えなかった。

けっして、もともと強かったのではなく、決意が彼を強くした、というわけです。




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▲カフェ「a Piece of Cake Cafe」が併設されてます。

カフェも併設されてるんで、鑑賞した後に、一服どうぞ。
さすがに、カフェに関する名言はありませんでした。引用できず。くそっ。









 坐ることを拒否する椅子、太陽の塔‥代表作がずらり勢ぞろい 

ほいっ、では、岡本太郎記念館で見られる作品に、強く生きる言葉を添えて、ご紹介しましょう。
こうして紹介できるのも、美術館にしては珍しく、撮影自由だからなんです。家で、何度でも見返せるので、ファンには嬉しい配慮です。



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▲左は、名古屋・久国寺にある梵鐘「歓喜」の原型

お寺から依頼されて、鐘を造ったりもしたんですが、それが梵鐘『歓喜』。
「鐘の音は鐘の音であってはいけない。森羅万象の叫び声でなければならない。つまりそれは音ではなく精神でありたい」という考えから作られた鐘は、とげとげとエネルギーが外へ発散してくような形状をしています。




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▲「太陽の塔」

大阪万博のテーマプロデューサーだった太郎氏。
当時は全共闘の全盛期で、「万博は、70年安保から民衆の目をそらすための陰謀だ」と主張する、万博反対派がかなり多かったとか。批判の矛先は、プロデューサーの太郎に向かい、アトリエにまで抗議の電話が鳴りひびいた。
そんな折りの、太郎氏のセリフがこちら。

【強く生きる言葉 その5】

反博?なに言ってんだい。一番の反博は太陽の塔だよ。

進歩をうたう博覧会のど真ん中に、原始的で、巨大な異物をぶちたてた。安全圏からの批判ではなく、太郎氏の反博は、プロジェクトの中心に身を置いて、行われていたのだった。



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▲「縄文人」



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▲「坐ることを拒否する椅子」

「いわゆるモダン・ファニチュアの、いかにも坐ってちょうだい、とシナをつくっている不潔さに腹が立つ」という考えから作られた、坐ることを拒否する椅子。なにものにも媚びを売らない、というポリシーを、椅子にまで適用するんだからほんと徹底してます。
媚びない精神といえば、こんな言葉があります。

【強く生きる言葉 その6】

危険だという道はかならず、自分の行きたい道なのだ。
ほんとうはそっちに進みたいんだ。
危険だから生きる意味があるんだ。





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▲電撃(1947年)

徴兵から帰ってきて、最初に描いたされる作品「電撃」。
「絵画の石器時代は終わった」と大御所たちに喧嘩をふっかけ、わび・さびだらけの芸術界をぶっ壊すため、あえて、原色をつき出した。そこから、50年にわたる挑戦が続いたのです。
というわけで、挑戦についての言葉をどうぞ。

【強く生きる言葉 その7】

挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままでオリてしまったやつには新しい人生などはない。



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▲「原始」(1956年)



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▲「悲しい動物」(1974年)



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▲「呼ぶ」(1984年)



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▲雷人(1996年)

絶筆となった作品。
彼の人生は幕を閉じ、「雷人」を完成させることはなかったが、死ぬ間際まで創作の手を休めなかったそうです。
では、最後に、人生についての言葉をどうぞ。

【強く生きる言葉 その8】

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。
財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さをうしなってしまう。

以上!
岡本太郎ファンならずとも、1度は行ってみてくださいまし。生きるパワーをもらえますよー。







「岡本太郎記念館」の情報
オススメ度:★★★☆☆
アクセス:地下鉄「表参道駅」から徒歩8分
住所:東京都港区南青山6-1-19
電話:03-3406-0801
営業時間:10:00~18:00
定休日:火(祝日の場合は開館)
予算:大人600円
関連URL:公式サイト