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その道30年。片手袋研究家、石井公二さんによる連載「この世界の片手袋に」の第2回。
12年間の片手袋研究において「なくてはならない場所」である東京築地市場と築地の片手袋についてです。

(著者:片手袋研究家・石井公二






【筆者】

片手袋研究家 石井公二 片手袋大全twitter

 著者近影小学校1年生から路上に落ちてる手袋に注目して30年。




12年間の片手袋研究において「なくてはならない場所」というのが幾つかある。今回はその中でも最重要ポイントである東京築地市場について書いてみたい。
私は仕事の関係で18年近く毎週一回、築地に通ってきた。片手袋研究より長い期間通ってきた築地なくして、私の片手袋への理解が進む事はなかったと断言できるのだ。


※なお、これから綴られる片手袋以外のエピソードの数々はあくまで私の個人的な体験であり、築地に行ったら必ず経験するという類の話ではない事を最初にお断りしておきます。





☆築地は豪快

まず基礎知識として、東京都中央区に位置する築地市場は世界最大規模の卸売市場で、セリ場や仲卸があり主にプロが買い付けなどを行う「場内市場」と、専門店が並ぶものの一般の方も気軽に買い物や飲食を楽しめる「場外市場」によって形成されている(物凄く大雑把な説明です)。


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※湾曲した屋根が特徴的な築地場内の仲卸売場


皆さんが想像する通り、築地場内はあらゆる意味で豪快な場所だ。それは色々な場面で感じられるが、有名なところでは拾得物。
「ただいまブリの落とし物がありました」などという場内放送を耳にすると、初めて築地を訪れた人は「ブリ一匹なんてどうやって落とすんだ?」と驚いてしまうだろう。

しかし縦横無尽に駆け回るターレーやトラック、荷車をしばらく眺めていれば、それもすぐに納得出来てしまう。通りが広かろうが狭かろうが、荷台に物凄い高さで発泡スチロールを積み上げていようが、皆、軽快にビュンビュン飛ばしていく。




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※築地の主、ターレー


あ!積荷がゴロンと荷台から転げ落ちた!
しかし運転手は気付かず、既に遥か彼方へ行ってしまった。なるほど。こうして信じられないような落とし物が生まれていくんだな。


河岸の人間同士のやり取りも豪快だ。場内を歩くオッサンの背後に忍び寄る別のオッサン。「ボゴッ!」。おもむろに背中を殴りつけた!

「痛ぇ!」

「ボーっと歩いてんじゃねーぞ!」

喧嘩になるかと思いきや、二人でゲラゲラ笑っている。何なんだ?


バックでトラックを駐車しようとしている若者。それをターレーからじっと見つめているパンチにグラサンのオッサンがいきなり叫んだ!

「おい、テメー!下手糞な止め方してんじゃねーぞ!」

やばい、今度こそ喧嘩になる。トラックの若者が窓を開けて叫ぶ。

「なんだ、どこのヤ〇ザかと思った!」

またしても二人でゲラゲラ笑ってる…。こんなシーン、本当によく出くわす。築地で働く人達の関係はなんだか近い。だからこそじゃれ合い方も豪快だ。私はそれを見ていると、何故だかとても幸せな気持ちになる。







片手袋が大量に発生しやすい場所の条件を考えてみると、「①場所における手袋の使用率が高い(片手袋の発生率が上がる) ②忙しい場所である(落としても気づかない可能性が上がる)」という二つは外せないだろう。
この二つを完璧に備えている築地場内はさらに、働いている人達の豪快さが加わる。ターレーやトラックの荷台から色々なものが落ちていくように、片手袋もポロポロと落ちていく。


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このような軽作業類やゴム手袋類やディスポーザブル類の片手袋を何枚撮ってきただろう?

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一か所に二枚、三枚とか別に珍しくもない。


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今までに撮った枚数がありすぎて、思わず「色別に分けてみる」とかもやってしまいたくなる。

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昔『プロ野球珍プレー好プレー』を見ていると、必ず最後に司会者が「毎回好プレーは僅かしか放送しませんが、このような好プレーを生み出そうと選手が一生懸命頑張っているからこそ、珍プレーも生まれるのです」と締めていた。
築地の片手袋も仕事をしている人達が一生懸命に、しかし豪快に仕事をしているからこそ生まれるのである。





☆築地は繊細

私は片手袋研究に限らず、一つの事にずっと拘り続けてしまうタイプだ。
母親の知人のお父さんは「晩飯には豚肉を塩胡椒だけで焼いたものしか食べない!」と決めていて、会社から帰ってくると食卓にどんなおかずが並んでいても必ず自分で自分の分だけ豚肉を焼いて、一人で食べていたそうだ。死ぬまで。

さすがにそこまでではないにせよ、私も気に入ったものはとことん食べてしまう傾向があるので理解できない事はない。築地でも通い始めてからの二年位、場内のとある洋食屋の「マグロ頬肉のステーキ」が気に入り毎週毎週ひたすら食べ続けていた。
そんなある日その洋食屋で、築地の強面の男達がやや恥ずかしげに不思議な言葉を口にしているのに気付いた。

「ハンバーグとミニカレー。あとウィンク」

「ミックスフライ。あとウィンク」

ウィンク?
運ばれてきたものを見ると、何の変哲もない目玉焼きだ。
何だろう?しばらく考えてみて気づいた。おそらくその店の目玉焼きは、卵二つ分がデフォルトなのだ。それを半分の卵一個分(つまり片目)だけ焼いてくれ、という意味でウィンクなのか!

それからはマグロ頬肉のステーキと同じくらい、時折聞こえてくるウィンクも楽しみの一つに加わった。豪快さだけでなく可愛らしさと繊細さも併せ持つのが河岸の人間なのだ。


繊細さ、と言えばこんな事もあった。

マグロ頬肉のステーキの呪縛は数年で解け、私は場内外の様々な飲食店で朝飯を食べるようになっていた。ある寒い冬の日の朝、私は有名なカレー屋で「合いがけカレー」を頬張っていた。

その店では毎朝決まって同じラジオ番組が流れているのだが、その日はリスナーからのこんなメールが読まれていた。

「私の息子はもうすぐ受験を迎えます。毎日一生懸命勉強している息子の為にリクエストさせて下さい。カーペンターズで『Top of the world』」

内心(受験と『Top of the world』って関係あるか?)と思ったが、あのスチールギターの軽快なイントロが聞こえてきたちょうどその瞬間。冬の朝の爽やかな光が店内に射し込み、私も含めたむくつけき男達を照らした。

なんとなく、いや、確実に。カレーを口に運ぶスプーンが一瞬止まり、その場にいた全員が(ああ、良い曲だな。良い朝だな)と感じている空気が店内に充満した。私は(音楽って良いものだな)と思った。

別になんて事はないエピソードだが、私の長い築地ライフでも何故か忘れられない思い出となっている。







築地場内の片手袋も豪快一辺倒ではなく、繊細さを感じさせるものもある。その代表が「軽作業類やゴム手袋類の介入型」であろう。

通常、町中で出会う介入型の片手袋は革や毛糸といったファッション・防寒類が中心だ。


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しかし、築地では軍手やゴム手袋が介入型になっているのをよく見かける。

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築地の人間関係は近いからこそ、同じ場所で働く誰かが落とした軍手やゴム手袋一つでも見逃せずに思わず拾ってしまうのではないか?

強面で普段話す事などないのに、ある日いきなり「あんちゃん、釣りが趣味だったよな?俺もう使わないからこれやるよ」とルアーをくれたあのオッサン。私の為に用意してくれていたのだ。
築地の人間の豪快さの裏にある繊細な優しさ。それが「軽作業類やゴム手袋類の介入型」を生み出すのだ。





☆築地は異空間

これまでの築地ライフの中で一つ、どうしても納得できないと同時に、思い出すと笑いがこみあげてくるエピソードがある。

あれも寒い寒い冬の日だった。

私が仲卸売り場を歩いていると向こうから、魚を捌いた手を拭く為にキョロキョロとタオルを探しているオッサンが歩いてきた。私とオッサンがすれ違おうとしたその瞬間、事件は起きた。

その日、私は雑巾のような縫い目の入ったジャンパーを着ていたのだが、


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なんとオッサンはその私のジャンパーで手を拭いたのである!

「ええええええっ!」

ビックリする私の顔を見て、オッサンはニヤリと笑い行ってしまった。オッサンにとっては実用的な布が向こうからやってきてくれて「ラッキー!」ってなもんだったのだろうが、私は築地の奥深さを改めて突き付けられた思いであった(勿論、ちょっとからかわれたんでしょうけどね)。







そんな異空間であるからこそ、築地では普段見ないような片手袋と出会う事が出来る。

例えば「二重片手袋」。これはディスポーザブル類の片手袋を二枚重ねにしたものが落ちていた。


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こちらは軍手とディスポーザブル類が重なったもの。


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これらは果たして片手袋と言えるのだろうか?片手袋特有の寂しさ、儚さがあまり感じられないのが不思議だ。



「瞬間片手袋」というのもある。

配送の途中でターレーや台車に一瞬、片方だけ手袋を置いていったものである。

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これらは確かに片手袋ではあるのだが、すぐにもう片方は配達人と一緒に戻ってくるはずだ。



「奇数の手袋問題」というのもある。


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19枚の手袋が干されていたら、そのうち何枚かは片手袋だという事になってしまうではないか!



前回、連載第一回目で説明を避けた第三の片手袋、「実用型片手袋」も築地のおかげでその存在に気付く事が出来た。


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通常片手袋は落としたり(放置型)、それを拾ってあげたり(介入型)という中で生まれるものだが、実用型片手袋はちょっと違う。

例えば「魚を掴む時の滑り止めや手の保護」の為に、わざと片方だけ使われている手袋が存在するのだ。


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これはとある飲食店でいつも干されている片手袋達。何か特定の使い道があるのだろう。


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これはターレーのブレーキの滑り止めだろうか?


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こういったものが「実用型片手袋」だ。

研究を始めた当初では想像もしなかった片手袋の存在に気付かせてくれる。「片手袋ってこんなもんだろう」という思い込みを覆してくれる。築地はいつもそんな場所だった。
だからこそ私は「結論を最初に決めてしまうのでなく、観察の積み重ねとして論を構築していく」という片手袋研究における基本的態度を維持出来たのであろう。





☆築地は変わる

長い築地の歴史の中で私が関わってきたのは僅か18年くらいでしかない。それでもその間、確実に築地は変化してきた。時間の経過とともに生み出される変化は、人によっては劣化と感じられるだろうし、別の人にとっては味として捉えられる事もある。その狭間に置かれているのが現在の築地だろう。

片手袋以外にも私の大好きな築地の景色は沢山ある。例えば私が勝手に「築地のプラネタリウム」と呼んでいるこの光景。


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これは場内の屋根に空いてしまっている穴から光が射し込み、壁に無数の光の点を作り出しているものだ。天気が良く気持ちの良い朝にしか現れないこの光景を私は愛しているが、人によっては築地場内の劣化の象徴としか見えないかもしれない。

「築地のプラネタリウム」に限らず、私が愛してやまない築地の風景の多くは、経年変化だったり時代にそぐわなくなっていたりする事を抜きにしては語れないものが殆どだ。ここに築地の魅力を語る際の難しさがある。




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変わるのは物理的な物だけではない。人間関係だって徐々に変わっていく。
私が築地に通いだした時は世の中の事など何も分かっていない大学生だったので、やはり築地の商売人達が少し怖かった。実際にこちらの不手際で怒られたりした事も幾度かある。

だが十年以上毎週通っていれば流石に顔も覚えられるし、「お兄さん、お腹空いてない?」とおにぎりを貰えたりする事もある。

ある時、とある取引先のお婆ちゃんから「あんたさ、これからハガキ出しにそこまで行くんだけど、ブラ透けてない?」と背中のブラ透けの確認を頼まれた時は、「ああ、私も信用して貰えてるんだな」と感慨にふけったものだ。

それは面倒臭い事なのかもしれないけど、時間を積み重ねる事でしか生まれないものの良さも確かにある。







築地の片手袋も変わってきた。

これまで書いてきたのは主に場内の片手袋の話だが、観光客や一般の方も多い場外市場の片手袋はどうなのか?

勿論場外にもターレーが走り回っていたりするので、このような軽作業類の片手袋は通年出会う事が出来る。


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しかし寒くなってくると平場(片手袋用語で普通の町の事です)と同じように、ファッション・防寒類の片手袋が放置、介入問わず沢山現れる。


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これが場内市場の片手袋との最大の違いだ…ったのだが、近年はそうとも言えなくなってきた。
私が通い始めた頃は足を踏み入れるのに緊張を強いられた場内も、今では多くの観光客の方の姿を見る事が出来る。勿論仲卸市場の見学は時間に制限があるので(現在、仲卸売場の見学は午前10時以降)、あくまで人出は寿司屋をはじめとした飲食店周辺に集まってはいるのだが。
しかしそうなってくると、場内にもファッション・防寒類の片手袋が多く見られるようになってきた。




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その究極として、場内でこの介入型の子供用ミトンを発見した時は「ああ、こんな所でこんな片手袋と出会う時代になったんだな」と感慨深かった。


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築地は常に変化している。





☆小さな物語の集積

私にとって築地とは、仕事の場であり、片手袋研究に多くのヒントを与えてくれた大切な場である。片手袋を抜きにしても路上観察的魅力にあふれているこの場所は、今でも行くたびに新鮮な驚きを与えてくれる。


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※マスクの位置


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※ホウスイの前で放水している人


築地という特殊な場は、時代という大きな流れとその場所に集う人達の小さな物語が混じり合って熟成されてきたように思う。しかし大きな流れに飲み込まれてしまった事ばかりに注目が集まる昨今の築地には、日々の小さな物語の方が切り捨てられてしまった寂しさを感じる。

今日も築地ではあり得ない落とし物が生まれ、働く人々の豪快なじゃれ合いと笑い声が響き、繊細な優しさも発揮され、見事な職人技が繰り出され、少しずつその役割を変化させながら、片手袋が生まれている。

私にはこの先どうなるかは分からないけど、築地がなくなるその瞬間まで片手袋とその背後にある小さな物語の集積を記録し続けていこうと思う。


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今回は最後に告知を。


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今月(2017年11月)、かじりみな子さんという絵本作家の方が『ふたつでひとつ』(偕成社)という絵本を出版されます。なんと女の子が片手袋を落とした事から始まる絵本なのです。
実は片手袋にまつわる絵本は古今東西沢山あって、それを研究するのも私のライフワークになっています。

そこで絵本に限らず「なぜ様々な創作物に片手袋が登場するのか?」という謎に迫りながら、かじりみな子さんに作品の創作秘話などを直接伺うトークイベントを11/12(日)の19:00から開催します。
場所は谷中にあるひるねこBOOKSさんです。
片手袋はともかく、現役の絵本作家さんに創作の舞台裏などを直接お伺い出来る貴重な機会だと思います。

残席僅かですが、参加ご希望の方は取りあえず私に予約確認メールを送ってみて下さい。お待ちしております!
【石井メール】
katateblog@gmail.com


【イベント詳細】
http://hirunekodou.seesaa.net/article/454145355.html?1507888467