5


その道30年。片手袋研究家、石井公二さんによる連載「この世界の片手袋に」の第5回。
片手袋研究を辞めようとおもった日を語ります。






【筆者】

片手袋研究家 石井公二 片手袋大全twitter

 著者近影小学校1年生から路上に落ちてる手袋に注目して30年。




「もう片手袋なんて続けても意味ないかもしれない」


片手袋を撮り始めて7年程経った、2011年のある日。私は一人寂しくそんな事を考えていた。


“片手袋研究家”などという、おそらく世界で一人しか名乗っていない肩書。そして活動の内容。ごく稀に(本当に稀にですよ!)私の研究を褒めて下さる方々が現れるのだが、おそらく自分だけの道をぶれる事なく歩み続けている者として、私を見て下さっているのかもしれない。ある種の悟りの境地だ。

どんなに下らない事をやっていてもそんな風に見て頂ければ誰でも嬉しいと思うが、本当の事を言えば私は全く悟ってなんかいない。大小様々な壁にぶつかったり、小さな事を気にしたり、自分のやっている事を疑ったり、あっちこっちふらふらと寄り道しながらなんとか続けてこられたのが実際のところだ。

今回はそんな迷いの多い歴史の中でも、片手袋撮影をやめようと思ったあの日の出来事について書いてみよう。それは同時に、私が“片手袋研究家”を名乗りだしたきっかけでもあった。
多分こんな煩悩に塗れた心の動きを書いてしまうと、がっかりする人もいるかもしれない。しかし、今年は正直に自分と向き合い、正直にそれを皆さんにお伝えしていこうと思っている。時には恥ずかしく情けない部分も晒さなければ、片手袋研究は新たな段階に進めない気がするのだ。




★片手袋を撮っているのは自分だけではなかった!

何故私は片手袋撮影をやめようと思ったのか?
それは今となっては経緯を忘れたが、誰かからこんな事を聞かされたからだ。


「伊集院光も落ちてる手袋を撮ってるらしいよ」


私は自分の耳を疑うと同時に、鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚えた。
まず何より自分以外に片手袋を撮っている人がいた事自体に驚いた。そしてそれが伊集院氏とは…。
私は割とヘビーなラジオリスナーだから伊集院氏の偉大さも分かっていたし、氏が関わっている書籍だって本棚にある。
むしろその時まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。私自身も面白いと思っている人、しかも影響力もある人が、自分と同じ活動をやっていると知ってしまった瞬間、私の心は大きく揺らいだ。

思い返してみると、この時までは自分の活動を客観的に見るような事はなく、ただただ主観のみで片手袋にのめり込んでいた。

「うわ、またあったぞ!」「え~!こんな所にまであるんだ!」「あれ?これって前にも似たようなパターンのがあったよな?」




1


毎日毎日、新たな発見の連続。なんて事のない町が宝の山に見えてくる感覚。
それが何年も続いていくうちに、私の中にこんな感情が芽生えてきた。


「この面白さに気付いているのは、世界中で俺一人なんだ!」


お恥ずかしい話だが、いつの間にか「片手袋の面白さに気付いているのは自分だけである」という、謎の優越感のようなものが誰にも相手にされない活動を続けるモチベーションになっていたのだ。
しかしその優越感は伊集院氏の登場によってあっさりと覆された。

撮影した片手袋の報告は最初から全てネット上で行っていたので、良くも悪くもこれまでの活動は(調べようと思えば)振り返って確認する事が出来る。伊集院氏の活動を知って衝撃を受けた日のブログも見つける事が出来たので、一部抜粋してみる。



2


ありうる話として、名のある写真家なんかがひょんな事から片手袋に注目したりして、写真集なんかが出ちゃったとする。そんな事になったら僕が何年も続けてきた活動や、この弱小ブログなんて屁みたいにあっという間に吹き飛んでしまうだろう。

だけどそれでも良い。
まあ、ないだろうけど、もしそんな事になっても僕はこの片手袋道を一生歩み続ける。ただただ片手袋を撮影し続ける。どんなに弱い力でも、やり続ければきっと二、三人ぐらいの人を驚かす事が出来るぐらいのものにはなっている筈だから!それだけで充分じゃないか!


どうだろうか?

まず伊集院氏の名前を出さず、「名のある写真家なんかが」と話を少しずらしているのが痛々しい。
そして「片手袋道」なんて言葉も飛び出している。片手袋道という言い方をしてしまうと、何か既に定まった道があるように感じられてしまうので今は絶対に使わない。でもこの時はとにかく動揺していたのだろう。揺らぐ事のない求道者のようなイメージを必死に自分に植え付けようとしている。
ああ、恥ずかしい。


ブログでは強がりを書いたが、当時の私はとてつもない無力感に打ちひしがれた。
「俺だけが面白いと思っていた、俺だけが撮っていた片手袋の筈だったのに、そうじゃなかった。もうこの先どんなに活動を続けていても、“伊集院光のパクリ”としか思われないんじゃないか?」。
そんな事を考えて眠れなくなってしまった。
「俺の六年間は無駄だったのか…」。

しかし、結果から言うと私は今も片手袋研究を続けている。
むしろこの時の出来事をきっかけに片手袋との関わり方は一気に深まっていった(今ではむしろその深まり方が常軌を逸しているので別の意味で辛くなるほどに!)のだが、私の中でどのような変化が起こったのか、順を追って説明してみたい。




★それでもやめられなかった

そもそも一番大きな理由はこれかもしれない。同じような事をやっている人の存在に気付き落ち込んでも、片手袋を見かければやっぱり反射的に撮影してしまっている自分がいた。
つまり既にこの時点で片手袋は趣味の範疇を超え、私の血肉と化してしまっていたのである。

頭で何を考えようが、もう、私は引き返せない地点に立っていた。




★撮るだけからの脱却


しかし、この時初めて「撮る以外にもやれる事があるんじゃないか?」という考えが頭に浮かんできた。

それまでの六年間で既に膨大な量の片手袋を撮影していたのだが、片手袋の発生しやすい状況や場所、季節による変化といった知見も積み重なっていた。
「そうだ。ボンヤリ頭の中で留めておくのではなく、一度きちんとまとめてみよう」。

こうして私は『片手袋のすべて』という小論文を書く事にした。



3
▲『片手袋のすべて』の一部


書き始めるとその作業は思いのほか楽しく、なんと僅か半日で六年間の蓄積をまとめ上げる事が出来た。
この小論文は今まで僅か数人にしか見せた事はないが、その中に載せる為に作ったのが今でも片手袋を説明する際に必ず使用している片手袋分類図である。



4
▲現在の分類図。最初に作ったものからかなり変更が加わっている。


こうして片手袋は、私にとって撮影対象だけではなく研究対象としても浮かび上がってきた。
体系立てて自分の思考や体験を整理した結果、自分のやるべき事が新たに見えてきたのだ。

片手袋研究が本格的に始まった。




★自分を縦軸(時間)の中に置いてみる

片手袋を撮り始めた頃から、毎年冬になるとコボちゃんやアサッテくんなどの新聞四コマに片手袋ネタが登場する事が気になっていた。

「もしかしたら他にも片手袋が出てくる創作物があるのかもしれない」。

私は映画や漫画や美術や小説、自分が触れるあらゆる創作物に目を光らせるようになった。これも伊集院氏の存在に気付いてからである。



5


すると出てくる出てくる。ピクサーやジブリ、村上春樹に世界各地の美術家達。
(今までのところ)一番古い例では、ドイツの版画家マックス・クリンガーが1882年の時点で既に『手袋』という作品を制作していた。これはスケート場で夫人が片手袋を落とし、それを男性(作者)が拾い上げる事から始まる連作版画である。町に落ちている片手袋そのものを描写した作品ではないが、作者がそこから着想を得たのは明白である。



6


7
▲こういった作品を見られる機会があれば実際に足を運ぶのも、研究にとってとても重要


「そっか。伊集院氏どころか、100年以上前から片手袋を気にしていた人達がいるんだ」

不思議な事に自分の独創性がさらに否定される悲しさと反比例して、自分が歴史の中で一つのバトンを受け渡されたような充実感が芽生えてきた。




★自分を横軸(地域)の中に置いてみる


ご存知の方もおられるだろうが、2016年にある人が片手袋撮影を趣味にしている事が話題になった。トム・ハンクスである。

伊集院氏の時はあんなに落ち込んでしまったが、これにはもう笑うしかなかった。僕自身は2013年頃、トム・ハンクスがTwitterに写真を投稿し始めた頃にすぐ気づいていたのだが、アカデミー賞俳優の思わぬ参入に「ようこそ、トム」と素直に思えた。

さらに恐らくトム・ハンクスの影響で、世界中に片手袋を撮ってSNSに投稿する人が現れ増殖し始めた。
皆さんも試しにTwitterやInstagramで「#lostglove」で検索してみて欲しい。



8
▲イタリアの方から送られてきた写真


現在把握している中で片手袋撮影者が確認出来る国や地域をほんの一部挙げてみると、


・アメリカ(ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントン)
・カナダ(トロント、ビクトリア)
・ドイツ
・イタリア
・オランダ
・ポーランド
・フィンランド
・スウェーデン
・ノルウェー
・イギリス
・アイルランド


などなど。不思議と皆、アップしている片手袋写真の枚数が似通っているのだが、これは大体同じ時期に始めた事を意味している筈。
世界中の国や地域の人々が一斉に片手袋撮影をスタートしたのだとしたら、そんなに大きな影響を持ち得るのはトム・ハンクスしかいないのではないか?というのが私の仮説である。


ひとつ面白いのは、皆片手袋を撮る際のルールが微妙に違っている事。
ある人は放置型(落ちている片手袋)だけを同じ構図で撮っている。介入型(拾われている片手袋)には気づいていないか、興味がないのかもしれない(そういえば伊集院氏も“おちてぶ”と名付けているようなので、落ちているという事に魅かれているのかもしれない)。
落ちている片手袋を拾って額に入れている人もいた。片手袋には絶対に触らない、というルールを設けている私からすれば驚きの行動だ。
「そうか。同じような事をやっていても、どうしたってその人の個性が出てきてしまうものなんだ」。私はそんな事を感じた。


いずれにせよこれだけ多くの人が片手袋を撮影しているのなら、私は日本の東京という一地域の担い手に過ぎないのだ。

「ここは俺に任せて、お前らはそれぞれの地域でしっかりやってくれ!」

今は世界中の片手袋愛好家達にライバル心どころか、勝手な連帯感を抱いている。
以前、試しにInstagramに片手袋分類図の英語版をアップしてみると、



9
▲英訳が難しい部分もあったので、日本語版をちょっと省略している


色んな国の人達が「私の国では窓枠の下なんかも多いよ」「子供用の片手袋は特に印象深いよね」などと意見を下さった。
むしろ追及してみたい片手袋研究のテーマに「国が変われば片手袋も変わるのか?あるいは全世界に共通している事はあるのか?」というものが加わった。
いつか彼等、彼女等に会って話をしてみたい。




★あらゆる方法で人に伝える


それまで殆ど一人で楽しんでいた片手袋だが、写真と研究成果がしっかり溜まってくると、ごく自然に「これを誰かに見てもらいたい」という願望が湧いてきた。

そうして2013年にチャレンジしたのが、神戸ビエンナーレの「アート・イン・コンテナ」というコンペティションだった。幸運にもコンペに入選し、私は初めて片手袋写真を人に見てもらう機会を得たのだ。



10


一番嬉しかったのは展示が終わってから数か月も過ぎた頃、神戸の大学生達が「展示を見て以来、片手袋写真を撮ったら皆で共有してます!」と送ってきてくれた事だ。
私は「ああ、自分がやった事で見ず知らずの方達の人生にほんのちょっとだけ影響を与えうるんだなぁ」と初めて知った。

観客の方達は勿論、神戸の様々なメディアからも反響を頂いた。
すると新聞やテレビを見た人からさらに反響が返ってくる。今でもそうなのだが、そういった反響から自分だけでは気付きもしなかったような視点を得られる事はとても多い。
ならば、いい加減な気持ちで片手袋の面白さを伝える事は許されない。片手袋研究の激しさはどんどんドライブしていったのである。




★そもそも影響を受けたって良いじゃないか


歴史的に見ても、世界的に見ても、片手袋を気にして撮ってしまうような人は沢山いた。
「片手袋の面白さに気付いているのはこの世で俺だけだ」という思い込みから解放されてみると、むしろ肩の力が抜けて(周囲の人達には「全然抜けてねーよ!」と言われてしまうだろうが)自分がやるべき事がスッと見えてきた。

「片手袋と沢山出会って撮影するのはもちろん大事だけど、そういった体験をもとに片手袋が発生する仕組みや場所や条件を探っていったり、片手袋が登場する創作物を記録していったり、世界中に片手袋に魅かれる人が現れる理由の根源を考えてみたり、それら全てを作品や文章に落とし込んでみたり、とにかく片手袋にまつわるあらゆる現象を考察・記録・表現し続けていくのが片手袋研究なんだ!」

それが分かると心に余裕が出てきたのか、伊集院氏に対しても冷静に考えられるようになった。


思い出してみれば私は、小学生の頃からベッドにラジオを持ち込んで伊集院氏の番組を聞いていたのだ。伊集院氏の片手袋活動については知らなかったが、小学生の頃から伊集院氏を面白いと思うような感性だったから、後々片手袋に魅かれるような人間に成長したのではないか?
つまり、やっぱり私の片手袋研究は伊集院氏の影響も間接的に受けているのではないか?

そもそも世界を変えてしまうような大天才ならいざ知らず、私のような凡人が自分の感性だけで何かに取り組んでも面白いものになるとは到底思えない。
むしろ伊集院氏に限らず、あらゆる人・作品からどんどん影響を受けて片手袋研究に反映していけば良いではないか!




★凡庸だって始められる

片手袋をやめたくなるほど強烈に落ち込んだ私は、それ以前と何が変わったのか?
結局それは「客観性を得た」という事なのだと思う。それまでの自分は周りの事など一切気にせず、主観のみで片手袋を楽しんでいた。
しかし自分以外に片手袋の面白さを知っている人達の存在を知り、何をやるべきか?どう伝えるべきか?という事を客観的に外側から定義する事になったのだ。

世界一長い小説ともいわれる『非現実の王国で』を誰にも知られる事なくアパートで書き続けていたヘンリー・ダーガー、カリフォルニアのワッツ地区に建築の知識もなく突如塔を建て始めたサイモン・ロディア、30年以上かけて巨大な城砦を築いたフェルディナン・シュヴァル。
実は片手袋を撮り始めた頃、私の目標は彼らのような存在になる事だった。私の死後、何も知らずにPCのフォルダを開いた家族が、数万枚の片手袋写真を見つける。想像しただけでもゾクゾクした(今から考えれば“彼らのようになりたい”という邪念が入り込んだ時点でそれは無理なんだけど)。


13年続けてきて片手袋研究は元々なりたかった、やりたかった形とはだいぶ変わってしまったけど、今は一応自分のやり方を確立する事は出来た(しかし一つの問題は克服出来たかもしれないが、片手袋研究に熱中する程に別の問題が無数に立ちはだかってきてしまったので、心が晴れる事は永遠にないのだと思う)。

ちなみにあの日の予感はやっぱり的中していて、たまにメディアで取り上げて頂く事があると必ず、「こんなの伊集院がやってるよ!」という反応がある。
でもそれは私の活動を知らない人達からしてみれば当然の反応だろうし、私に出来る事はこれからも死ぬまで片手袋研究を続けていく事だけなのだ。


これを読んでくれている人達の中にも、自分だけのオリジナリティが見つからなかったり、自分より冴えたやり方で自分と同じような事に取り組んでいる人の存在に怯えたりしている人達がいるかもしれない。
でも、それでも。何だか分からないけど魅かれるものがあったり、やめるにやめられない未練を感じたりしているなら、どうかそれを放り投げないで欲しい。


客観的に自分の凡庸さと向かい合う事で始まる表現もある筈なのだから。






----


◎別視点からのお知らせ◎


5e00a5f4


2018年2月12日(祝)18時から
片手袋研究家・石井公二さん × 別視点ガイド編集長・松澤茂信による


をおこないます!


十数年にわたる片手袋研究を丁寧に振り返り、理論化・体系化・言語化出来ている部分を紹介する「おもて面」、まだ言語化出来ていないのであまり公にしてはいないが気になるテーマを固まりきっていないまま、みなさんに問いかける「うら面」の二部構成。

詳細とお申込みはこちらの記事からどうぞ~。




【筆者】

片手袋研究家 石井公二 片手袋大全twitter

 著者近影小学校1年生から路上に落ちてる手袋に注目して30年。