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その道30年。片手袋研究家、石井公二さんによる連載「この世界の片手袋に」の第6回。
介入型の片手袋と優しさについて語ります。







【筆者】

片手袋研究家 石井公二 片手袋大全twitter

 著者近影小学校1年生から路上に落ちてる手袋に注目して30年。



もう先月の事になるが、「マツコの知らない世界」に出演させて頂いた。
自分の気味悪さを改めて客観的に見てしまい震えが止まらなかったのだが、幸いにも沢山の嬉しい反響を頂く事が出来た。
放送後に片手袋を撮影してSNSにアップする方も増えたようだ。


収拾がつかなくなっている片手袋研究を限られた時間内で説明しなくてはならなかったので、とりあえず最も伝えておきたい事を幾つかに絞り強調した。
それは「落とし物としか思われないだろう片手袋だが、実は放置型と介入型の二種類存在しているのだ」という事。



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この連載を読んでくださっている方には今更説明する必要はないかもしれないが念のため説明しておくと、放置型というのは誰かが片方だけ落とした手袋がそのまま地面などで忘れ去られているタイプ。




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介入型というのは、落ちている片手袋を通りすがりの誰かが拾い上げ、落とし主が見つけやすいような場所に移動してあげたタイプ。



「冷たく無機質で他人の顔が見えないと思われがちな都会だけど、放置型片手袋を見ると見ず知らずの落とし主を想像してしまうし、介入型片手袋を見ると会った事もない人同士が片手袋を落としたり拾ったりする中で密かに交流している事が分かる」という事を番組では熱弁した。


ご覧頂いた方の中には、「介入型片手袋が象徴する人間の優しさ」に感動して下さった方も多かったようだ。
別に嘘をついた訳じゃなくて本気でそう思っているが、本当はそれが全てではない。
ちゃぶ台をひっくり返すようで申し訳ないが、今回は介入型片手袋が象徴しているものをもう少し深堀りしてみよう。




雑な優しさ


介入型片手袋は確かに優しい。
これなんかはそれが特によく分かる。


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片手袋がビニール袋に入って電柱にぶら下がっている。

背景を見て貰えば分かるのだが、ここはゴミ捨て場だ。おそらくゴミと一緒に捨てられないよう、拾った人が気を使ったのだろう。
「世の中には本当に親切な人がいるんだな」と思ったが、話はこれで終わらなかった。




翌日、雨がシトシト降る中この場所を通り過ぎると…


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なんとビニール袋はジップロックに変わっていた。

今度は手袋が濡れないように配慮したのだろう。落ちている手袋一枚にここまでする人がいる。
確かに介入型片手袋は優しさの象徴だ。




だが、人間の優しさにも色々ある。
わざわざビニール袋やジップロックを用意する優しさもあれば、もう少し雑な優しさもある。


例えばこれ。


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ちょっと分かり辛いが、介入型片手袋が二枚重なっているのだ。




ちなみに最初はこんな感じだった。


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一枚目の黒と黄色の片手袋を拾ってポールに挿してあげた人は確かに優しい。
だがその後、白と水色の軍手を拾って黒と黄色の片手袋に被せてしまった人の優しさは少々雑だ。下になってしまった方は、落とし主に発見される可能性が殆どなくなってしまうのだから。




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こういう「片手袋on片手袋」タイプとはしばしば出会う。




次にこれを見て欲しい。


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拾ってあげたのは良いけど、こんなに広げたら伸びちゃってもう使い物にならないのではないだろうか?




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これは片手袋じゃなくて赤ちゃん用の帽子だけど、伸ばし過ぎてもはや小籠包みたいになってる。
う~ん、雑。




雑と言えばこういうパターンもある。
なんとなくイメージとして「放置型は地面、介入型は見つけやすいよう高めの位置にある」と思ってしまうが、


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これなんかは地面付近だけど、明らかに介入型だろう。




その視線で見てみると、


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こういうのも怪しく見えてきてしまう。

放置型にしては妙に収まりの良い場所に位置している。
下手したら「落ちているのに気づいた人が、とりあえず足で蹴って脇に寄せた」なんていう可能性もあるかもしれない。


ジップロックに入れてあげる人、元からあった片手袋の上に気にせず被せちゃう人、足で脇に寄せる人。
一口に優しさと言っても、様々な形があるのである。




周囲に迷惑をかける優しさ


また、「関係ない第三者に迷惑をかける優しさ」というのもある。


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この介入型片手袋。

拾ってあげた人は置き場所として、他人様の車のポールを利用していたのだ。
拾ってあげたのは優しいけれど、車の持ち主からしてみればかなり迷惑な話だろう。




ちなみに数日後に通りかかると、


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手袋は植込みに移動していた。

この場合、優しいのは最初に拾ってあげた人より、むしろ迷惑でも捨てなかったこの家の住人ではないだろうか?




これも似たような事例。


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雨が降っていたので、自転車の持ち主が一時的に置いていったとは考えにくい。
片手袋を拾い上げた人が、サドルに置いていったのだろう。自転車の持ち主が戻ってきたら困惑するに違いない。


元はと言えば優しい気持ちで行われた事が、関係ない第三者からしてみれば迷惑になってしまう事もあるのだ。




そもそも優しさじゃない?


介入型片手袋に関しては、もっと根本的な疑問もある。
しかもその疑問は最初、私に対する批判として発せられた。


2013年。
私は神戸ビエンナーレという現代美術の祭典で、初めて片手袋写真を展示する事になった。
作品タイトルは『まちに咲く五本指の花』。13ftのコンテナ内部を片手袋写真で埋め尽くす、というものだった。



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その時に書いた作品コンセプトは、以下の通り。

「まちじゅうに、驚き・笑い・不思議・見えない繋がり・優しさが咲き乱れている」

それを実感できるよう、日常的にまちでよく目にする“とある光景”の写真をコンテナ内に展示します。
コンテナから出ても、神戸ビエンナーレ終了後も、まちに出る度に思い出して頂けるような作品になれば幸いです。

床に敷き詰められた放置型の写真からは落とした人の存在を。
壁に展示した介入型からは拾った人の優しさを感じ取ってもらい、日々町で繰り広げられている生活や見えない交流の豊かさを可視化する事を目的としていた。


おかげさまでこの作品は好評を頂き、幾つかのメディアから取材も受けた。今に繋がる私の活動は、ここから始まったといっても過言ではない。
しかし、実は私の耳に入ってきたのは良い評判だけではなかった。



会期半ば頃だったろうか?
コンテナ内部で鑑賞者に作品説明をしていた私に、一人の男性が話しかけてきた。

「新聞であなたの作品見て来たんだけどさ。これ、別に優しさで拾ってる訳じゃないでしょ?こんなの、イタズラでしょ?都合よく解釈し過ぎじゃない?

私は驚いて男性の顔を見た。男性も真剣な顔で私を見ている。
どうやら冗談ではなく、本気の批判として話し掛けてきているようだ。
私にとって初めての作品展示。当然、面と向かって批判されるのも初めての経験だ。

瞬時に頭に血が上るのが分かった。

「いや、優しさだと思いますけどね。イタズラでこんなに手間の掛かる事しないでしょ?」

私が露骨にイラついた口調でそう答えると、「へっ!」と馬鹿にしたような笑い方をして男性は行ってしまった。
物凄く腹が立ったが、数時間後、布団に寝っ転がって冷静に考えてみると、その男性が言った事にも一理ある気がしてきた。




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なるほど。

確かに介入型片手袋には100%の善意というよりは、若干のイタズラ心が感じられるものもある。
私はこの時初めて、観察や研究を続けて理解が進むにつれ、逆にその理解の仕方でしか世界を見られなくなる危険性に気付いた。
「介入型片手袋は優しさの象徴」と認識した事により、もうその可能性でしか介入型片手袋を見られなくなっていたのだ。


しかし、それでも介入型の解釈が根本から間違っていたという訳ではないと思う。
片手袋ではないのだが、このイタズラの例を見て欲しい。




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道路のカーブ付近に設置されている信号に何か貼られている。鈴鹿サーキットのステッカーだ。
つまりこれを貼った人はこのカーブをサーキットに見立て、ステッカーを貼ったのだろう。いわば、「風景へのイタズラ書き」だ。

こんなイタズラに気付く人は少数だろうが、気付いてしまったら何だかニヤリとしてしまう。
イタズラも見ず知らずの人の人生に影響を与える(この場合は笑いという形で)、という意味でやはり“介入型”なのである。

この時から私の中で「介入型=落ちている片手袋を拾う」という解釈は、「介入型=落ちている手袋や風景や人の心に介入する行為」という風に拡大された。




優しさって何だろう?


今回は「介入型片手袋の象徴する優しさにも色々あるし、そもそも優しさだけで生み出される訳ではない」という事を書いてきた。
最後に私自身が“優しさ”というものをどう考えているのか?も書いておこう。
何故ならそういう言葉を使う事に「ケッ!」と不快感を覚える方も少なくないと思うからだ。


私は別に「介入型片手袋は優しさの象徴です!それが町中に溢れているんだからこの世は優しさだらけ!みんなみんな、もっと片手袋を拾ってあげようよ!そうすれば世界中が平和になって、全部バッチグ~ッ!」などと言いたい訳ではない。


正しい行いは正しい精神から発動されるとも限らず、間違った行いは間違った精神から発動されるとも限らない。
というか、正しい人と間違った人がいるのではなく、一人の人間の中で正しさと間違いは常に揺れ動いている。


私は、「正義(という言葉自体危ういが、ひとまず置いといて)や優しさや利他的行動を行使しなければならない“その瞬間”に一歩を踏み出せるかどうか?」は、日頃の思想や言動は関係なくて、瞬発力なんじゃないかと思っている。
いざ、という時にすぐ動ける瞬発力が備わっているかどうか?


昔、友人と歩いている時、遠くに老婆が倒れているのが見えた。私が(あ、どうしよう?)と一瞬躊躇ったその時、私の友人は既に老婆のそばに駆け寄り自分の上着を掛けてあげていた。
僕は下ネタ大好きのその友人を尊敬しつつ、自分にはまだ瞬発力が備わっていない事を恥じた。普段色々と偉そうな能書き垂れてるくせに。


介入型片手袋に惹かれるのは、困っている他者を見かけた時に発揮されるその瞬発力が、最も小さな形(世界を変える、とか大袈裟な物じゃなくて、この最も小さな形というのが重要)で可視化されていると感じるからだ。
落ちている片手袋を拾い上げた人は恐らく、「正しい行いをしなければ!」とか考えず、思わず拾い上げてしまった筈である。




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さらに深く考えてみると、私はよく「見ず知らずの人が落とした片手袋なのに、ちゃんと拾ってあげる人が沢山いるんですよ」と熱弁してしまうが、もしかしたら“見ず知らず”だからこそ拾い上げるのかもしれない。
落ちている片手袋に落とし主の顔写真や年齢や性別や政治信条なんかが書いてあったらそれが瞬発力を妨げて、恐らく今より拾う人は減ってしまうだろう。


相手が誰だかも分からないからこそ、正しさとか関係なく“思わず”の瞬発力で発揮されてしまった行い。
介入型片手袋を見ていると、そういった類の優しさも確かに存在する、と思える。


こんな事を書くと、テレビで語った「介入型は慈愛」という部分に反応して下さった方はがっかりするだろうか?
しかし、片手袋研究を追求していく面白味は、どんなに一生懸命仮説を打ち立ててもそれをあっさり覆してくる人間の複雑さにこそあるのだ。そう。今の私が確実に言える事はただ一つ。


「片手袋は人間の複雑さの象徴である。だからこそ面白い」



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片手袋同人誌「暮らしお役立ち 片手袋分類図鑑」も売ってるよ。
これ1冊あれば、道で手袋を発見しても安心だ!

サイズ:A5 ページ:40

【目次】
●はじめに
●片手袋分類図
●第一段階「目的で分ける」
・軽作業類/重作業類/ゴム手袋類/ディスポーザブル類/ファッション・防寒類/お子様類
●第二段階「過程で分ける」
・放置型片手袋/介入型片手袋/実用型片手袋/
●第三段階「状況・場所で分ける」放置型編
・道路系/横断歩道系/電柱系/バス停系/雪どけこんにちは系/田んぼ系/海辺系/深海デブリ系/籠系/駐車場系
●第三段階「状況・場所で分ける」介入型編
・ガードレール系/三角コーン系/電柱系/バス停系/棒系/掲示板系/フェンス系/植込&花壇系/室外機系/消火器系/ゴミ捨て場系/落とし物スペース系
●片手袋の形状一覧
●おわりに




【筆者】

片手袋研究家 石井公二 片手袋大全twitter

 著者近影小学校1年生から路上に落ちてる手袋に注目して30年。