連載13回目 (2)

その道30年。片手袋研究家、石井公二さんによる連載「この世界の片手袋に」の第12回。
今回は「介入型片手袋は切手である」という理論を展開します。


(著者:片手袋研究家・石井公二




【筆者】

片手袋研究家 石井公二 片手袋大全twitter

 著者近影小学校1年生から路上に落ちてる手袋に注目して30年。


宙に浮いた天津丼


先日、よく行く中華料理屋でこんな事があった。
 
「タンメンの方~!」
 
お姉さんが出来上がった料理を持ってくるが、誰も手を挙げない。
どうやら厨房に注文を通し間違えたらしい。お姉さんが困った顔でタンメンを引っ込めようとした時、一人の爺さんが言った。
 
「それ、俺食うぞ」
 
驚くお姉さん。
 
「え!だってお客さん、ニラレバ定食じゃないですか?方向性が全然違いますよ!」
 
なるほど。それは全く方向性が違う。
 
「食えりゃあ、何でも良いんだ」
 
爺さんがボソッと放った一言に、私を含め店内の客は全員吹き出してしまった。
お姉さんも「それじゃあ!」と笑いながらタンメンを爺さんの前に置いた。
 
爺さん、優しいし粋だ。お姉さんに気を使わせないよう、あえて無愛想な言い方なのもまた素晴らしい。私もああいう風になりたい。そう思った。
 
チャンスは思いのほかすぐにやってきた。それから二週間後。同じ中華料理屋。
その日は非常に混雑している上に厨房と客席担当の意思疎通が上手くいっていないようで、オーダーミスや提供タイミングの前後が頻発しており店内がピリピリしてしまっている。
私の炒飯もなかなか出てこない。
 
「天津丼のお客様!」
 
かなり待たされていたらしい男性の前にようやく料理が提供されたが、男性は怒鳴った。
 
「俺が頼んだのは天津”麺”だよ!もういいわ、帰る!」
 
男性は帰ってしまった。店員さんが申し訳なさそうに天津丼を厨房に下げる。
どうも廃棄されるようだ。私は厨房の棚を覗いてみた。吉野家などで見かけるような持ち帰り容器が見える。ここだ!
 
「あの、すみません。もし良ければその天津丼、持ち帰るんで頂けますか?」
 
ごく丁寧にお姉さんに切り出した。瞬間、お姉さんの顔が曇るのを感じた。
 
「…すみません、差し上げるのはちょっと」
 
しまった!
丁寧に言い過ぎて「捨てるならタダでくれ」という意味に取られてしまったようだ。
 
「いや、違うんです。お金は払いますから。あそこに持ち帰り容器があるでしょ?あれに入れてくれれば持って帰れるから」
「あ、そうですか。でも、もう冷めちゃったし。一度下げたものをお客様にお売りするのは…」
「いやいや、良いんですよ。そこは気にしないんで」
 
こんな押し問答をしている間にも、会計を待っているお客さんや「○○出来たぞ!」の声が厨房から飛んできている。
お姉さんは早く切り上げなければマズいと判断したのか、こう言った。
 
「分かりました。私からプレゼントしますので」
「いやいや、それはまずいです。僕も来づらくなっちゃうし。じゃあ、こうしましょう。半額払います」
「でも、丼ものなんて容器に移したらグチャグチャになりますよ」
「あのね、僕には毎日昼飯を作ってあげなきゃいけない病気の母親がいるんです。ちょっと見栄えが悪くても、むしろ助かるんです」
 
嘘である。もう私も引くに引けなくなってしまい、嘘までついてしまった。
 
「分かりました。じゃあ、そうしましょう」
 
ようやくお姉さんは納得してくれ、ゆっくりと天津丼を容器に移した。
その間に出来上がった料理は溜まってしまっており、注文や会計待ちの人達も増えていた。
 
私はあの粋な爺さんを見習って、せっかく作った料理が捨てられないよう善意を発揮したつもりだった。
ところが言い方、タイミングなど全てがこなれていないせいで、むしろお姉さんや店に迷惑をかける結果になってしまったのだ。そんな、そんなつもりじゃなかったのに。私は落ち込んだ。
 
「思いは伝わらない」
 


ある介入型手袋の一生


落ちている片手袋を誰かが拾い上げ、目立つ場所に移動してあげて誕生する「介入型片手袋」
私はそれを「冷たいと思われがちな都会にも確かに存在する、優しさや善意の象徴」として紹介してきた。


しかし、ずっと心に引っ掛かっている事がある。
 
「果たして、どれほどの介入型片手袋が持ち主の元に戻るのか?」
 
片手袋研究も14年目に入っているが、その間介入型片手袋が持ち主のもとに戻る瞬間を目撃したことは一度もない。
恐らくではあるが、現実問題としてそのような幸福な例は極めて稀なのではないだろうか?
 
試しに一つの介入型片手袋が辿った運命を見てみよう。
 


連載13回目 (1)

 このファッション類介入型ガードレール系と最初に出会ったのは今年の1/29の事だった。
 


 連載13回目 (2)

これは5/21。先程と反対側から撮った。吉野家の前にあったのである。
 


連載13回目 (3)

 これは7/9。「PUSH」と書かれた謎の札が加わった。誰かのいたずらだろうか?
 


連載13回目 (4)
 
8/7。「PUSH」は無くなり、再び元の姿に。
 


連載13回目 (5)

連載13回目 (6)

8/14。前日に吹いた強風のせいか、遂にガードレールから外れ、再び放置型になってしまった。
この状態から見た人には手袋である事も分からないような姿になってしまっている。
そして、次の日にはもう路肩からも消えてしまっていた。

 
心優しい誰かによってせっかく拾い上げられたこの片手袋は、結局落とし主のもとに帰る事なく1月から約7か月間も寂しく放っておかれ、やがて消えた。
 
拾われた介入型片手袋の殆どが持ち主のもとには帰らない。拾った人の優しさは伝わる事なく消えていく。
介入型片手袋は「優しさの象徴」なのではなく、「優しさは相手に届かない」ことの象徴なのではないか?
 

届かぬ思い帳が生まれたよ


世の中に生きている人々の優しさは、それを届けたい相手に届けたい形で伝わる事は少ない。
 

連載13回目 (7)
 
この介入型片手袋なんて、置き場所に選ばれてしまった車の所有者にしてみれば優しいどころかむしろ迷惑だろう。
中華料理屋の一件のように、優しさが周囲に迷惑を掛けたり傷つけたりする事すらあるのだから恐ろしい。
 
それは優しさに限らず、怒りや信頼や愛、全てにおいてそうなのだろう。
相手を心配して発した「頑張れ!」という言葉が、「頑張っている人に頑張れなどとよく言えるな!」と叩かれてしまう現代。思いは伝わらない。
 

この時、学生時代にはあまり理解出来なかった、ジャック・デリダの「郵便的不安」という概念がストンと腑に落ちた気がした。
我々は郵便物を送っても、それが確実に相手に届いたかどうか知る事は出来ない。それと同じように、我々の思いは常に一方通行であって、相手に届いたかどうかも分からず、あて先不明扱いで宙をフワフワと彷徨っている。
「既読マーク」が付く時代になっても、それがどう読まれたのかまでは相変わらず分からない。
このコミュニケーションの機能不全に一度捉われてしまうと大きな不安に心は蝕まれていくから、我々は意識的に意識しないようにしているのだろう。

 「"郵便的"不安」という単語を久々に思い出して、私は幼少時に切手収集にはまっていた事も思い出した。考えてみれば切手収集(特に未使用切手)も、コミュニケーションが本来持っていた筈のポテンシャルが発揮されない行為であるかもしれない。
切手が持っている「何かを誰かに届ける」という機能を永遠にアルバムの中に閉じ込めてしまうのだから。切手アルバムの中には「届かぬ思い」「届けられなかった思い」が閉じ込められている。
 

「届かぬ思いの象徴としての介入型片手袋」「郵便的不安」「切手収集」。
この三つのキーワードが頭に思い浮かんだ瞬間、私の脳の中に住んでいる貴婦人が私に語りかけてきた。
 
「私、介入型片手袋は切手だと思いますの」
 
気が付けば勝手に手が動き、数百枚の切手風介入型片手袋写真が出来上がっていた。
これを幼い頃に蒐集していた切手と一緒にアルバムに収めてみる。
 

連載13回目 (9)連載13回目 (8)

連載13回目 (10)連載13回目 (11)

こうして出来た一冊のアルバム。私はこれを『届かぬ思い帳』と名付けた。



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これからも介入型片手袋は優しさの象徴として記録していくが、同時に『届かぬ思い帳』の収蔵品としても捉えていこう。
はっきり言ってなんでこんな事を始めたのか、まだ明確に言語化は出来ていない。

しかし、介入型片手袋をはじめ、町には人々の届かぬ思いがいろんな形をもって散らばっているのは確かなようだ。
そして、それらが唯一届いている相手こそ、路上観察者なのかも知れない。
今までも片手袋研究の新しい動きは、こうした小さな発見と大きな暴走によって生まれてきた。
『届かぬ思い帳』からはどんな動きが生まれてくるだろうか?
 
ちなみに、「届くとか届かないとかは関係なく、それでも発揮される人間の優しさをどう考えるか?」という問題も立ち上がってくるのだが、これに関しては当連載の第六回目を併せて読んで欲しい。
 
『介入型片手袋は本当に優しさの象徴なのか?』

 
『この世界の片手袋に』も今回でちょうど一周年を迎えることが出来た。
一年経ってみたら、
 
「介入型片手袋は切手である」
 
とか、もう本当に自分でも何が何だか分からない場所に辿り着いてしまっている。
こんな連載を飽きずに読み続けてくれている方達に御礼申し上げたい。
たとえ、伝わらないとしても、この気持ち、本物。



【筆者】

片手袋研究家 石井公二 片手袋大全twitter

 著者近影小学校1年生から路上に落ちてる手袋に注目して30年。